SNSは「見るだけ」…見る専になる心理を当事者が分析してみた
SNSにはアカウントを持っていても、自分では投稿せず閲覧だけで楽しんでいる「見る専」と呼ばれる人たちがいます。
実は私もその一人。
X・TikTok・Instagramとアカウントを持っていますが、自分から投稿することはほとんどありません。
唯一の例外は、過去にInstagramへ1度だけ投稿したこと。
でも、それも1ヶ月後に自分で削除し、今も投稿はゼロです。
今回は、私がSNSに対して「見る専」であり続ける理由を、自分なりに分析してみようと思います。
私のSNSの使い方
一口に「見る専」といっても、SNSによって微妙に使い方が違います。
私の場合を整理するとこんな感じです。
完全に見るだけ。アカウントはありますが自分から投稿したことは一度もありません。
・TikTok
こちらも完全に見るだけで、見る頻度もGoogleの検索でヒットした時に閲覧するくらい。動画を上げたことはゼロ。
フィード投稿は過去1回のみ(→1ヶ月で削除)。
ストーリーだけはたまに更新する。
Instagramのストーリーだけ更新できる理由は明確で、「一定期間で自動的に消える」「親しい友達限定で公開できる」という2つの条件があるから。
不特定多数に向けた永続的な投稿、というのが私にとってのハードルなのです…。
ちなみに私の親しい人リストは片手で収まるくらいしかいません、フォロー中の人は数百人といる中で(笑)
実は過去に1度だけ、Instagramに通常の投稿をしたことがありました。
内容はプロボクシングの試合に出たときのもので、応援してくれた人への感謝を書いて試合の写真と一緒に上げた、というもの。
投稿した瞬間は「よし」と思ったのですが、時間が経つにつれてじわじわと「知らない人が、知らないタイミングで見ているかもしれない」という部分への不安が大きくなり、結局1か月でひっそり削除してしまいました。
投稿のネタがあってもSNSにあげられない理由
ぶっちゃけ、私は投稿できるネタがないわけじゃありません。
ライターとしての活動、プロボクシングの練習や試合、狩猟や射撃の体験…どれもまあまあSNS映えしそうなネタだと思いませんか?(笑)
「投稿することがない」じゃなくて、「投稿しようと思えない」という状態が正確な表現です。
なぜ投稿しようと思えないのか…ここを掘り下げると、2つの理由にたどり着きました。
「誰かを不快にさせても責任を取れない」という感覚
SNSの投稿って、突き詰めると自己満足だと思うんですよね。
自分がいいと思ったものを出すだけで、見た人がどんな感想や感情を抱くかまでは制御できない。
「自分にそんなつもりがなくても、誰かには自慢に見えるかもしれない」「誰かが不快に思うかもしれない」そこに対して責任を持てないことが、私がSNS投稿をためらう理由のひとつです。
そんなの考えすぎ!と思われるかもしれませんが、私にとってはこれが無視できないのです。
試合の投稿を削除したのも、この「見知らぬ誰かの感情に影響を与えていることへの不安」が積み重なったからです。
それが、私がSNSに投稿できない理由のひとつめです。
キラキラ投稿で落ち込んだ自分の経験
(特に)Instagramはキラキラ系投稿が多いというのは世間的にもよく言われていますが、個人的にも「そうだな」と感じています。
もちろん投稿している側に悪意があるとは思いません、単に楽しかった・嬉しかった・幸せ…というのを記録として残しているだけなのでしょう。
ただ…特にメンタルが落ちているときにこういうのを見ると、そう思いたくなくても、マイナスの感情が働いてしまうんです。
充実している誰かの投稿が、自分の現状とのギャップを突きつけてくることがあるのです。
悪意のある投稿でなくても、受け取り側の状況や気持ち次第でどうにでも変わってしまうことを体験的にわかっているから、発信することに慎重になってしまいます。
友人の投稿がスクショされていた!見る専でいて良かったと思った体験談
これは少し暗い話になりますが、知人や友人の投稿がSNSで悪口のネタにされているのを目撃したことがあります。
しかも、スクショまで撮っている人がいた(笑)。
簡単に説明すると、とある友人がストーリーで彼氏に旅行に連れて行ってもらい、宿泊先が誰もが知るハイクラスホテルだった、という内容をあげたのです。
結果、その子が参加できなかった後日の女子会にてこの投稿が自慢である、という解釈から集まった女子たちはスクショをネタに悪口三昧。
笑えない話ですね。
本人の投稿に問題があるわけでは決してありません。
でも、見た側に悪意があれば、それをどう使うかまでは投稿した本人にはコントロールできないという事実のテンプレみたいなものだと思いました。
炎上みたいな大きな話じゃなくても、こういうことは日常的にあるわけです。
自分の身を守るうえで、見る専でいることは理にかなっていると思うようになりました。
見る専でいることの代償とは?
ここまで見る専の合理性を語ってきましたが、デメリットがないわけじゃありません。
地味に困るのが、懸賞や応募系のキャンペーンでSNS投稿が条件になっているものに参加できないこと!
「Xで投稿して応募」「インスタにタグ付けして応募」系がどうしても対象外になります。
まあ、そこまで困っているわけでもないのですが…自分がここまでSNS投稿に敏感でなければできていたなあ~と少し残念に思うことはあります。
また、もう少しリアルな話をすると、仕事の案件でSNSを積極的に運用していたり、フォロワー数が多いことが条件になるケースがあるパターンも私にとってはデメリットです。
発信系の仕事やPR案件では、SNSの影響力がある程度求められることがあって、日ごろ発信していない私はアウト(笑)
これも残念というか…自分の感覚が違っていたら別の仕事ができたのかもなあ、と思ったりしますね。
まとめ:私にとってSNSは、あるとちょっと便利なツール、くらいの存在
SNSに対する私の感覚をひと言で表すなら、「なくても困らないけど、あるとちょっと便利なツール」です。
友達がストーリーで「暇」と上げているのを見て連絡することもあるし、調べたいことを調べるのにも使います。
ただ自分は基本投稿はしない、という線引きをしたうえでSNSと付き合っています。
今回の記事を書くにあたりいろいろと調べてみたところ、NTTドコモの調査では、XやInstagramのユーザーの約6割が投稿をしない「見る専」という結果が出ています。
半数以上の人が同じ使い方をしているなら、見る専はむしろSNSの標準的な使い方のひとつなのかもしれません。
SNSの扱い方の一つとして「見る専」というものもあるのだということ、またそういった使い方をする理由の一例が、この記事を読んだ方の参考になれば嬉しいです!
ライター:遠藤葉月


